真砂の歴史

1月24日(火)
 総合的な学習の時間に、真砂の歴史について調べている。今日は、公民館に行き、公民館長さんにそのことについてのお話を聞かせていただいた。その話によると、西暦773年に中岡兼宗という人が今の小学校のすぐ近くの場所に居を構えたことがその第1歩だということだった。また、言い伝えでは菅原道真が左遷されるときに、真砂の地を通ったという話が残っているそうだ。「日晩山」を通るときに日が暮れて、「夜明け峠」を通るときに夜が明けたという。中学校の校歌に「菅公流転の縁にし濃き・・・」とある。本当かどうかはともかくとして、そういう言い伝えがあるというのは、なんだかロマンを感じる。
 また、神社のことも聞いたが、真砂の神社は八幡宮と天満宮が一緒の場所にあるとても珍しいものだということだった。真砂の天満宮は今から178年前(文政11年)防府天満宮から幣(へい)(ぬさ)を分けてもらい翌年、紅葉丘天満宮として始まったそうだ。天満宮としては、ここらあたりでは一番大きな神社で、昔はお祭りに、大勢の人たちが集まってにぎやかだったという。帰りに実際に神社に行き鳥居を見てみると、確かに文政の文字が刻まれていた。
 休憩なしで、ずっと話を聞いていたので、子どもたちに神社で休憩をさせたら、すぐに全員で手つなぎ鬼を始めた。神社で遊ぶ子どもというのは絵になる。

 

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