ピアノ伴奏

7月13日(水)
 これは、全く恥ずかしいことなのだが、私はピアノが弾けない。
 しかし、はるか昔の話だが、採用試験で1次が受かり、2次試験までの2ヶ月ぐらいの間は必死になってピアノの練習をした。2次にはピアノの演奏があったのだ。バイエル10数曲が範囲になっていたと思う。毎日4〜6時間ぐらいピアノ室で練習したのを思い出す。音楽研究生よりも体育研究生で小学校の1次に受かった人の方がピアノ室で練習する時間が多いのでは?と言われるぐらいやった。その結果、範囲の曲は、全て暗譜で弾けるようになった。お陰?でなんとか無事2次試験も合格することができ、今日の私があるのである。しかし、この練習法はその場しのぎ短気集中型だったので、その後の応用が利かなかった。当時の練習は、あまりに下手だったので、1小節か2小説ずつこつこつと弾けるようにする練習だったのだ、当然、同じところを何度も何度も弾くことになり、楽譜を見て弾くというよりも、指が覚えていくという弾き方だった。当然、新しい楽譜を見てさっと弾けるようにはならず、試験には対応できたが、現場に出るとなかなか対応できなかった。当時は受かりたい!という一心でピアノを練習していたので、仕方がないのであるが、もっと応用の利く練習法を採用するばよかった・・・残念。
 それでも教員になってからも何度かピアノ伴奏にチャレンジしたこともあった。
 教員になって3年目、6年生の担任のときに、3学級あったのだが、担任同士が意気投合し、週に1回、学年で合唱をするようになった。そのとき曲ごとに伴奏を交代するというルールを作って取り組んだことがある。何曲か歌ったあと、私が伴奏の番になった。曲名は、斎藤喜博作詞の「細い道」という曲(3部合唱)だった。この曲はピアノが上手な人から見ればたいしたことはない伴奏なのかもしれないが、私にとってはそうとう高度な曲だった。それこそ、採用試験のことを思い出すぐらい練習した。そして、いよいよ伴奏をするとき、(当時、この学年合唱はいつもビデオ撮影をしていた)緊張のピークに達した。学年115名の前で伴奏をするのである。前奏開始。いい感じでスタートが切れた。子どもたちもすばらしい歌声で「細い道」という歌を歌ってくれていた。後少しで終わるというころになって、なぜだか、頭の中が真っ白になってしまった。あわわわわ・・・・という感じで伴奏がついにストップしてしまった。子どもたちは、伴奏がストップした私を気遣いながら、それでも合唱を最後まで歌ってくれた。歌が終わったとたん、「先生〜 」と怒ったような、笑ったような声が・・・・。「ごめんごめんごめん」ただあやまるしかなかった私。それでも歌を最後まで歌ってくれた子どもたちに感謝。
 とまあ、こんな苦い経験もあり、その後あまり積極的にはピアノ伴奏をしなかった。指1本で時々音をとる程度の伴奏で音楽の授業をしてきた、また、CDもあり、それほど、指導には困ることもなかった。つれあいに無理を言って伴奏テープを作ってもらい、2部合唱、3部合唱などもそれで指導したりもした。高度な合唱曲にも何曲か挑戦させてもきた。ハレルヤコーラス、フィンランディア、美しきあおきドナウ、大地讃頌などなど、ピアノが弾けなくて、よくもまあ、いろいろな曲に挑戦させたなあ〜と我ながら感心する。
 今ではMIDIもあり、時間さえかければある程度の伴奏はパソコンでも作れるようになって、表現などはこれを利用している。
 でも、やっぱり自分で伴奏ができるのが一番いいと思う。あたたかいんだよな〜。ピアノではなくてもギターでもいいのだけれど・・・・伴奏ができる人にあこがれるなあ〜。

My tracks 2005